資本主義精神 spirit of capitalism 2004 1 30

 私は、騎士道について、このようなことを書きました。
「騎士道精神」とは、
日本の武士道に、キリスト教精神を加えたものかもしれない。
 現代という時代は、
多くの者が、騎士道精神も、武士道も忘れている。
 騎士道精神を忘れたら、資本主義は、どうなるか。
それは、資本主義が、単なる「収奪システム」に変わる。
これが、アメリカ式の資本主義に潜む問題点です。
なぜ、これが、よくないか、わかりやすく説明しましょう。
 資本主義において、「お金」とは、人間の「血」に相当します。
富裕層は、人間の「頭脳」に該当し、
貧民層は、人間の「足首以下」かもしれない。
 確かに、「頭脳」に「血」を集めることは効率がよい。
しかし、「血」が通わなくなった「足首以下」は、やがて、壊死する。
足首がなくなれば、人間は、大きく機能低下する。
これが、アメリカ経済の「未来」かもしれない。
 さて、キリスト教徒も、イスラム教徒も、
「最後の審判」という話をする。
確かに、国家レベルの「最後の審判」があるかもしれないが、
基本的には、個人レベルでは、意味が違います。
人間が死んで、その魂が、秤にかけられることを意味します。
このような話をすると、多くの人は、まだ、先の話だと思うかもしれない。
 しかし、数十年後には、確実に、
いや、人によっては、数年後に、死が訪れる。
 投資家も、同じです。
いくら成功しても、
それは、この世にて、「金銭の記録」が残るだけです。
その「金銭の記録」を持って、旅立ちをしても、
天国の門は開かない。
若い投資家を育てていくか、
貧しい者を助けていくか、
どちらの方法か。
それしか、記録を残す方法はない。












































































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